仄かな燈火

渡部唯生

科学的社会主義2

階級の存在。プロレタリア階級という言葉は、日本共産党の内部ですらほとんど聞かれない。それほどまでにプロレタリアートの人口比率が高まり普遍化したのだともいいうる。我々は古典的なマルクス主義のタームに郷愁を感ずるようなジレッタントであるべきではなく、プロレタリアという概念の未来に向けた可能性をこそ探究すべきである。「二重の自由」や「鉄鎖の他に失う物を持たない」といったレトリカルな表現だけではロマン主義的な労働者像が思い起こされるだけで、何の役にも立たない。プロレタリア概念の本質は言うまでもなく、階級廃絶の使命をその存在に担わされている点にある。言い換えれば、共産党が階級廃絶をするのではない。プロレタリアが国家を死滅させ、階級を永遠に廃絶するのである。党とプロレタリアの関係は、党中央と一般党員の関係ではない。社会の圧倒的多数者としてポピュリズムの嵐の中を右に左に揺れ動くプロレタリアの去就が、民主主義革命を着々と準備している。主体は常にプロレタリア階級であり、階級的存在としての集団的可能性を、党員はそれぞれに意識し、働きかけ、また自分の物にしなくてはならないだろう。政治の舞台は国会だが、この舞台の土台は階級関係である。