仄かな燈火

渡部唯生

科学的社会主義について

科学的社会主義の本質としては、マルクスが「資本論」で明らかにした剰余価値の学説が挙げられる場合が多い。それは正しいが、どういう意味で剰余価値論が本質的と言えるか。まず資本主義社会の目的が剰余価値の取得にあるという点。資本主義社会の富の実体が剰余価値である点。剰余価値を形成する不払労働の存在が、資本主義の搾取労働の疎外の本質である点、これらは諸家共通していわれる所だろう。たとえば我々が都心で目にする高層ビル群なども、基本的には剰余価値の取得の産物である。

剰余価値の理論が十全にその対象を明らかにしえているかは疑問なしとしない。利潤の源泉を他に求める理論も多く、そのすべてに反証をなしえているかは分からない。剰余価値こそが科学的社会主義の神秘であり、また非常に具体的な、素朴な詐術に過ぎないとも言える弁証法的な極点をなしている。労働者は、自分が働き過ぎた分の価値が、回り回って帝国主義戦争を招いたなどと考えはしないが、そう考えねばならないのだ。