仄かな燈火

渡部唯生

考えるべきこと=考えたいこと

思考そのものは内的な活動であって、そのままでは、それ自体としては無力である。だが思考は認識と判断を左右し、意志という形態を通じて、ある人格の行動に影響する。また、思考は、言葉として発言される事で他者の思考に影響する。

課題のない思考というものはない。全て思考は何らかの問題を解決するために行われる。世界には無数の問題が存在する。あらゆるものが本来、知られていない。思考は、対象を知ることであり、問題を解く事である。問題を知り、解法を知ることで、答えが知られる。問題とは謎である。未知であることだ。

思考の起点をどこに求めるべきか。それは初めから与えられている条件ではない。思考の起点とは、思考そのものの根拠であるともいえる。我々はたいてい、無意識に、自然に思考しているが、意識的な思考も可能である。真理と虚偽でいうなら、虚偽もまた知られる。だが虚偽の知は深められる事で、それが虚偽であることをも知られる。思考にはまた、精神の呼吸のような所がある。生き生きとした精神は、意識せずに考えている。あらゆるものが思考の対象になりうるが、有限な存在である我々は、思考すべきものと知らなくて良い事とを評価、選別しなくてはならない。

思考の起点とは、最も単純な、原理的な問題を対象とする思考の事だ。最も単純な、始原の問題とは何だろう。この世界で、また、どの世界でも、第一の問題とは何だろう。私も同一性も、存在も神も、それを与える観念ではないのではないか。第一とは、始原であることだ。始原の観念は、それに後続するものを含んでいる。存在と無を含んだ、万物の同一性、永遠の観念が始原の観念に対立する。存在が無であり、万物が同一であり、時間が永遠であり、空間が無限であるという矛盾より外部には、我々は何も手にする事はできないように思われる。